人は他者に関わり、影響することで自らの存在意義を見出す。
好かれること。嫌われること。必要とされること。尊敬されること。
他者に認識されること、すなわちそれが存在意義なのだから。

人は存在意義を見出すため、他者との関わりを求める。
忘れられること。拒否されること。思い出にされること。
存在意義の消失。
そんな可能性の存在を知る由もなかったあの頃の自分は、ただ他者に影響することを求めた−。

分かつとき、分かるもの

「イッくん、お帰り」
イクト・ブルゴスが仕事を終えて帰宅し自室のドアを開けると、同時に響く朗らかな声。
声の主の姿は見えないが、普段存在感薄く全開きになっているはずの簡素な間仕切り用カーテンが
固く閉じられているのを見やると、うっすらと奥に人影が確認出来る。
わざと大げさな音を立てカーテンを解くと、見慣れた黒い長髪の華奢な後ろ姿が現れた。
見慣れないのは、見たこともない洋服や私物が無造作に部屋のあちらこちらに散らばっている光景。
ぬいぐるみ、本、お菓子、お菓子、お菓子…。更にはブラウスはまだしも、
女性物の下着のようなものまで目に入り、参ってしまう。
間仕切りされた向こう側とはいえ、自室の一部を散らかされることを不快に感じたイクトは声を荒げた。
「おいリュエル。これはどういうことだ」
リュエルと呼ばれた少女は、黒々とした長い髪を翻し振り向くと、ほんわかと微笑んでみせる。
「どういうことってイッくん。嫁入り支度だよ?」
「…え、嫁入り…?」
「そう。この部屋ともイッくんとも今日でお別れだから…。だから、荷造りしてるの」
良く分からない幼児語を用いながら、妙なぬいぐるみに話しかける少女。
彼女を目の前にしながら、少年は混乱で止まりかけた頭を何とか働かせようと試みる。
イクトは、この少女…双子の妹のリュエル・ブルゴスが明日結婚し、家を出ていくという事実を完全に失念していた。
「そ、そうだったな。明日だったか。式は」
相手は確か、一学年上のミダナァムだったか。御家柄は立派だが、本人は至って地味で、
家柄を鼻にかけない、物静かで薬にも毒にもならぬような男だったと記憶している。
そんな、並んだ杭の一本のような存在の男の何に惹かれるのか。
自らが評議会議長の娘だけあり、理想高く、結局は相手も家柄で選ぶのか。
鬱積した思いは、少女に向いているのか、相手のミダナァムに向いているのかイクトには自覚できなかった。
「そうだよ!だから騒々しくしちゃうけど、今晩中には片付けちゃうから、それまでごめんね」
一方で兄の胸中を知ってか知らずか、妹のリュエルの口調は、いつものお気楽なそれであった。
イクトは大きく深呼吸をした。仄かな埃の匂いが喉にかかり、噎せかける。
「…俺は手伝わないからな。飯を食い終わるまでに片しておいてくれ。埃っぽいのはごめんだ」
「うっ、イッくんそれは無理かもだよ…善処するけどさあ」
最後の音はまで聞かない間に、イクトは強い力でドアを閉めた。

「イク兄、またリュー姉を"言葉攻め"でチクチク虐めてるんだあ」
「」
3歳下、今年成人したばかりの弟の口から偏った知識に基づく単語が飛び出し、イクトは絶句する。
「で、喧嘩してるんでしょ。こんなところで油売って、部屋に戻らないのが証拠だよ」
「心外だなジェラール。僕はあいつが掃除中の部屋に居合わせたくないだけだ」
「もういなくなっちゃうと実感して、寂しくなっちゃうから?」
「埃臭いからだ。それだけだ」
「へー。ふーん」
ヘラヘラと調子がいいように見えて、何を考えているのか分からないこの弟、ジェラールは、
ぼーっとした口調で無防備なすぐ下の妹と良く似ていると思う。
「もういい。お前と話していても、時間稼ぎにもならないな」
それでいてたまに直球正論を吐く様にはイクトも弟に一目を置いていたが、今回ばかりは彼の話は聞くに堪えない。
笑みを止めない弟、ジェラールの端正な顔を一発殴ってやりたい衝動を抑え、イクトは立ち上がり踵を返した。
「あ、イク兄」
「どうした」
振り返らずに相槌を打つ。
「リュー姉、嫁ぐ前にイク兄に言っておきたいこと、沢山持っていると思うんだ。今日リュー姉、
仕事もそこそこに飛んで帰ってきてさあ、僕ら家族と話がしたいって言ったんだ。一人ずつ」
イクトは翻る。
「…お前、あいつと何を話したんだ」
「まあまあ。気になると思うけど、まあまあ」
「…」
「僕なんかに対しても色々ぶつけてくれたリュー姉だからさ、双子で、ずっと一緒にいたイク兄に対しては
もっとたくさん、色んな話をしたいんじゃないかな」
「…僕はしたくない」
「あんまりぞんざいな態度取らずにさ、今日ぐらい聞いてあげてもいいんじゃない」
ふと、イクトの脳裏にリュエルの台詞が頭をよぎる。
(そう。この部屋とも"イッくんとも今日でお別れ"だよ)
彼女はおどけて言った。きっとこの台詞を吐露した彼女の心に、痛みなど、ない。
きっと意地悪で嫌味な兄から離れられて、せいせいしているだろう。今更何を話せというのだろう。
今までの恨みつらみか。復讐の念か。自業自得とはいえ、それを彼女から聞くのは、あまりに辛い。
どうすべきか気持ちの整理がつかずに弟を一瞥すると、ベットに鎮座しながら緩んだ笑顔を振りまき、手まで振ってきている。
…やっぱり殴ってやりたい。そうやって虫の居所の悪さが収まるのならば。
しかし、それで収まるわけがない。イクトはもやもやした心持のまま、部屋を後にした。

食事が終わり入浴を済ませ、弟との会話を経てもなお、イクトは自室へ戻ることを躊躇っていた。
同室のリュエルは荷造りを済ませているのだろうか。
正直作業が終わっていようとそうでなかろうと、彼の体制には何ら関しない。
しかし作業の完了を命じた立場として、未完了の所に居合わせるのはばつが悪い。
更に、作業を終えていないと思われる時刻から部屋に踏み込むのは、余りに無配慮に思われる。
まだ作業をしているかもしれない。それに何より、彼女に会うと聞きたくないことを耳に入れなければならない気がする。
何よりも怖い。
刹那、図ったようなタイミングでドアが音を立てて開いた。
「…イッくん」
「…」
自分の肩の高さ程度に低いリュエルの目線が一瞬合い、やがてふっと細くなった。
「ごめんねえ、お待たせ。もう荷造り終わったよ」
リュエルは実際に機を図っていたに違いない。
扉の向こうでじっと、気配が戻ってくるのを待ちわびて。
実際に目視したわけではなかったが、イクトの推測は確信に近かった。
何故なら、彼の方も扉の向こうに意識していたからだ。少女の気配を。空気を。
そうまでしたい感情が理解できない一方で、いじらしい、とも彼は思う。
ともかく、妹の弛緩しきった表情に半ば毒を抜かれたような状態のイクトは、促されて自室に戻ることとなった。

もう一人の部屋の主の使用スペースとの間仕切りをするカーテンは今や取り払われ、
その奥の、家具以外の物が整頓されたがらんとした空間が露わになっている。
あの趣味の悪いパステルグリーンの敷物も、古ぼけた変なぬいぐるみも、ゴテゴテしたレースのベッドカバーも。
アンティーク調の写真立てに納められた家族写真さえも。
彼女の痕跡は軒並み残っていない。
「イッくん、良かったらここ使ってね。あっ、彼女さんと結婚するまでの間だけだね」
そう言いリュエルが頬に手を当て、照れたような素振りをする。
明日他の男に抱かれようとする女が純情ぶってもあざといだけだ。そう考えると、毒が入る。
「そうだな。有難く、物置にするさ」
「うん、うん。…あの、イッ」
都合の悪いことは聞きたくない。そう思い、彼女を制止する。
「掃除はしたようだな。もう寝るよ。リュエルも早く寝「イッ、イクト!!」」
したつもり…だったが。
「あ、いっ…イクト…くん…イッくんだった、ごめんなさい」
「な…何」
双子とはいえ妹。そんな彼女に呼び捨てをされたのは、初めてではないか。
普段あり得ないほどの妹の権幕に動揺し、兄もまた同じように珍しく言葉に詰まる。
リュエルの二の句を待つ。言い淀んだように何度か口をパクパクさせた後、彼女は必死の形相で叫ぶ。
「イッくん、今日、一緒に!一緒に寝ようよ!昔みたいに!」
「あ…え?ええっ?」
突拍子もない提案を受けたイクトの形相もまた、ひどく滑稽なものと相まった。
暦は24日。肌寒い季節、しかも深夜だったが、双子の妹の爆弾発言と対峙したイクト・ブルゴスの全身からは
冷や汗が噴出して止まない。
「…お、お前、正気か」
「あの、変な意味じゃなくて!ほら私のベッド、カバーも布団も剥いで使えないし…
それでその、布団の横に入れてもらうだけでいいの!だから、ね!」
「変な意味であってたまるか!」
「そう、変な意味じゃないからっ!」
突っ込みを入れる個所はそこではないと気付いた後には後の祭り。
"変な意味じゃない"、だからOK。確固たる口実を得たリュエルは、素早い動作で兄のベッドに潜り込んだ。
「おまっ…!ふざけるなよ。俺は床で寝る」
「なら、私もイッくんと床で寝る!!」
「ふざけるなっ…!」
床に陣取った兄の元に、妹が降ってくる。
何が何だか分からないうちに兄の視界は暗転し、次に襲いかかった衝撃に身を委ねることを余儀なくされたのだった。

二人で並んでベッドに収まり、天井を見上げるのは何年振りだろうか。
二人並んだベッドをこんなにも狭いと感じなかった時代以来であったことは間違いない。
それにしても、随分久しいにも関わらず、不快でなかったのはイクトにとって意外だった。
むしろ、距離をおいても伝わってくるリュエルの息遣い、高い体温に懐かしみ、安心している自分が居るのも想定外だった。
「イッくん、こんなの何年振りだろうね。懐かしいな」
「…さあな」
考えていることを悟らせまいと、イクトはそっけなく返答した。
「ねえ…イッくん。私、イッくんに言っておきたいことがあるの」
「僕は何も話すことはない」
「聞いてくれるだけでいいの」
イクトの横で、リュエルが動く気配がした。影が出来たことを感じイクトがわずかに視線を向けると、
彼女は半身を起こし彼を見つめているような気がした。
慌てて眼を反らす。
茶色がかかった黒い髪、黒い瞳。双子の少年と少女で共通する部位は、わずかにそれだけ。
大きな猫目、透けるように白い肌。なだらかで薄い眉、細い鼻筋。薄く血色の良い唇、そして、髪に乗り運ばれる甘い香り。
他は何もかもが、少女特有の持ち物だった。ひいき目に見ずとも、少女は美しかった。
そんな美しい瞳が少年を射抜く。あくまで真っすぐと、真剣な面持ちで。
「兄と妹」ではなく、アドバンテージなしの「双子」であることを突きつけられたようで、イクトは途端に居たたまれなくなる。
「あの、私、イッくんと双子に生まれて今まで一緒に居れたこと、本当に良かったと思ってるよ」
「…こんなひねくれた片割れでも、か」
皮肉が一番にイクトの喉を飛び出す。この機に及び、リュエルに嫌われたくないにも関わらず。
次に彼から飛び出したのは、発言を恥じる、心の中への一抹の後悔。
「あのね、そのことなんだけど…私、イッくんには感謝してるの」
「感謝されるようなことをした覚えはない」
「そう、それ!」
指差され指摘をされるような覚えもまたなく、イクトは呆気にとられる。
「イッくんは厳しいし、物言いは冷たいし素直じゃないしすっごくムカつくこともある!」
「…」
事実とはいえ歯に衣着せぬ物言いをされ、憮然とした面持ちで睨みつける兄に妹は慌ててフォローをした。
「あっごめんね。でも、イッくんのその見返りを求めない優しさ、私は大好きだよ!厳しいのも全部、
マイペースな私に発破を掛けるためにしてくれたことなんだよね?思い返せばあの時も、まさかこの時も?
ってぐらいに、イッくんの言動が後押しになったこと、たくさんあるもん」
どうやら褒められているだろうということまでは理解できたが、あまりにも一気に巻くしあげられた為、イクトの頭は混乱していた。
「そうだったかな。よくわからん。覚えてない」
とりあえず、最後の「たくさんあるもん」辺りに反応してみる。
「えー、たくさんあるよ。焼きヌヌギを食わず嫌いしてた時とか、宿題間に合わなくてめげそうな時とか、
ハミルトンくんと知識のメダル争いした時とか、スカートが短いって注意されてパパと喧嘩した時とか、それと…」
リュエルはその一つ一つを、かけがえのない物語のように麗しい声色で囁いた。
どれもイクトにとってはとりとめのない出来事ではあったが、彼女によって大事に記憶されていることに驚く半面、嬉しくもあった。
彼女の可憐な口元が紡ぐ度に容易に回想できる情景に、イクトの口元は綻ぶ。
その表情を見やり、リュエルも目を細めた。
「それに、カレドさんのことを相談した時だって…イッくんが後押ししてくれたよね」
カレド・スミス−リュエルの婚約者の名前。
それが登場した瞬間、イクトは心地よい夢心地から覚醒する。
イクトがリュエルに抱く、罪悪感の元。
自分が彼と妹を結び付けるよう後押しをしたから、妹は…。
「言っておくが、相手があのスミスだと知ってたら、僕は反対してたんだ」
「カレドさんはいい人だよ」
「あの男があんな早々にナァムになるとは思わなかった。あの男と結婚するということは、
お前の未来の選択肢が制限されるということだ」
「…わかってる」
「いくら働いても、いくら試合で勝っても地位は得られない」
「…そうだね」
「未来のナァムを嘱望され続けるだけの存在になるんだぞ!」
「…イッくん」
イクトの口元にリュエルのか細い指があてがわれようとして、寸前で止まった。
指の熱の感触まで伝わりそうなコンマ数cm先の与える感覚に、少年の唇は麻痺しそうになる。
更に少女の柔和な表情の奥の、刺すような視線を見出してしまい、いつにない少女の気迫を感じ取る。
極度の緊張が少年の体感時間を狂わせる。とてつもなく長く感じた静寂の間、彼はじっと感情を潜めた。
やがて白い指の主は寂しそうに頬笑み、呟いた。
「イッくん。私の願いはね、愛する人の傍で、その人を支えて生きていくことなんだ。それは、
愛する人がナァムであってもそうでなくても同じ。それに女に生まれたんだもん。愛する人の子供は産んで育てたいよ…。
例えその」
「その子供が未来のナァムであっても、そうでなくても、同じ、か…」
「さすがイッくん。私のことは良く分かってるね!」
「…ただの語呂の問題だ」
短い言葉からでも妹の覚悟はうかがい知れた。彼女の意思が予想以上に強固であったことを痛感する。
(結果、良かったのか…?)
イクトは罪悪感が安堵感に変わっていくのを感じたのと同時に、ある種の諦めに似た感情を抱いた。
自分を一喜一憂させる目の前のこの小さい少女…双子の妹。半身とも呼べる。
そんなリュエルの存在が、自らの中でどれだけ大きかったのかを認めざるを得ないのだから。
そっと彼女の手が冷えた手に重ねられた。
イクトは身を固くしたまま、振りほどくことが出来ない。
「イッくん、ママのお腹の中に居る時から一緒だったね。こんな時まで心配かけてごめんね。ずっと支えてくれてありがとう」
「リュエル…」
「今の私があるのも、心から愛する人に出会えたのも、勇気をくれたイッくんのお陰だよ?本当にありがとう」
「おい、もう言うな…」
「明日、私はカレドさんに嫁ぎます」
「…」
「イッくんありがとう、大好きだった…ずっと幸せでいてね」
イクトに覆い被さる影が一層濃くなり、次の瞬間、心地よい負荷がしな垂れかかった。
こんなにも軽く、とりとめのない重みなのに。
なのに引き裂かれるような心の痛みを伴うのは、この瞬間がもう二度と訪れることがないとわかっていたからか。
彼女がもう、自分の半身ではなくなろうとしているからか−。
哀哭を振り払うかのように、イクトはきつく目を閉じた。

翌朝。
ベッド付近には窓がなく、廊下から差し込む光を取りこみイクトはかろうじて覚醒した。
昨晩起こったことは到底信じ難く、まだ眠気で働かない頭も相まって、夢と現の線引きがおぼろげとなっている。
昨晩と言えば、言い争いになり、その後何故かベッドに侵入してこられて、そのまま話をし、そして…
(そうだ、リュエルは)
反射的に飛び起き、右傍ら、昨晩確かにあった温もりを確認する。
そこには既に妹の姿、体温はおろか、一本の毛髪さえも残されていない。
イクトは行き場を失った右手で虚しくシーツを握りしめた。
夜更け、少年と少女はゼロの距離で互いの存在を感じていた。
しかし、身体の距離以上に心の距離に圧倒的な質量の隔たりを覚えたのも、残念ながら事実だった。
(リュエル、違う…)
少年は、少女を支えたつもりになっている実感をもって自己の存在意義を見出していた。
(お前に頼っていたのは、僕の方だ…)
少女は昨晩、少年と決別した。
一方で少年も、少女から心を解き放たれるべき時が今正に訪れようとしているのだ。
少年はそう痛感せざるを得なかった。
(嘘だろ…涙なんて)
大きな失せ物をした少年の頬を、つうっと雫が伝う。
建前、皮肉、嫉妬、衝動…あらゆる脆弱な鎧が涙と共に流れ落ち、空っぽになった心で少年はようやく自覚した。
彼はただ、少女に幸せになって欲しかったのだと。
それを言いたかっただけなのに、どうしてこうも遠回りになってしまったのだろう。
「…リュエル、おめでとう。ずっと幸せに…」
虚勢を張り続けて結局言いそびれた、祝福の言葉。
誰に届くでもなくそれは、高い天井に弾けて消えた。

<END>


イクト リュエル
いつまでも二人で一つではいられない双子の悲哀を書いてみたくて。
プレイ中のエピソードに基づいているわけではなく、ただこの二人が妄想しやすイメージに近かったので。
当初はヤンデレ側とデレられる側の配役が逆の予定でしたが、
我が国のプルトの史実(嫁ぐ順番)に忠実になるよう考え直した結果、こうなったようです。(笑)
あーすっきり!
(2013/7/15)

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